2011.08.13(Sat)
不登校は中学受験がきっかけとなりました。
勉強が進まないことへの叱責に、息子が激しく抵抗するようになり、
いさかいの翌日はたいがい学校をお休みしました。
親への当てつけだったように思います。
五月雨的にお休みするようになってしまったことが、
完全不登校へのハードルを下げてしまいました。
中学受験がもたらしたものは不登校だけじゃありません。
息子の抵抗がいつしか暴言・暴力となってあらわれるようになりました。
今回は、そのことを書いてみたいと思います。
暴言・暴力のきっかけなどは、以前に書きました。
過去記事(暴力のきっかけ)→3回の家出
過去記事(暴力の様子) →暴言・暴力
暴力が始まると、次も暴力。
一度、身体が覚えてしまうと後戻りできなくなるのですね。
それまでは親の押さえつけへの反発だったのが、そのうち、
些細なひと事でも、暴力が出るようになりました。
もう、言われた内容ではないのです。
声かけ全てが、親のさせよう感に結びついてしまっているようでした。
それまで親に管理され、押さえつけられていたことへの反発が一気に噴出し、
息子自身も感情のコントロールがきかなくなってしまったようでした。
親の制止、説得は息子をさらに逆上させるだけでしたので、
暴力がでても、息子にされるがままでした。
ただ、時間がたち自然と収まるのを待つことしかできませんでした。
息子の暴力をきっかけに、親は腫れものに触るようにしか息子と
接することができなくなりました。
完全に親と子の立場が逆転していました。
息子は暴力を行使することで、自分の地位を確保しました。
そうすることでしか自分を守れなかったのだと思います。
子どもは好きで暴力をふるうはずがありません。
暴力は親がさせている。
私はそう思っています。
理想を押し付けてくる親。
自分の気持ちを受け止めようとしない親。
指示、命令、提案、説教、正論・・・もううんざりなのです。
うちの息子は完全に自暴自棄になっていました。
包丁を持ち出し「死ぬ」「殺す」の世界です。
物の要求もありました。
「○○が欲しい」「○○を買って」「今すぐ、買ってきて」
その物全てが本当に欲しかったのではないと思います。
高価な物などは、親が買えないのをわかっていて、わざと言ってきたりします。
ただ、ただ、親を困らせたかったのだと思います。
本で読んだ話ですが・・・
次から次へと高価な物を要求してきたお子さん。
親に高額な出費をさせた時に、子どもは部屋にこもって泣いていたそうです。
「俺はこんなに我がままで悪い子だけど、それでも愛してくれるのか」
自分はどんどん悪い子になっていって、親が求める姿とかけ離れていく。
そういう意識がありながらも、自分の思いとは裏腹に悪態をついてしまう。
それでも自分を受け止めてほしい。
それが子どもの気持ちなんだと思います。
息子の暴力が出たとき、私も主人も息子の前で何回も泣きました。
それでも、容赦なく暴力は続きました。
私たちの涙をみたらさらに暴力が激しくなるようにもみえました。
子どもは親がオロオロ、メソメソする姿など見たくないはずです。
そんな姿は子どもにとってショックです。
自分が親をそうさせてしまったと自分を責める気持ちと、
どうしてそうなってしまうんだという腹立たしさ・・・
息子を混乱させ、余計に荒れさせてしまったのかもしれません。
親は親なのです。
親らしい姿を子どもにみせる必要があるのだと思います。
ある日、息子の暴力がでた時、
「もう、暴力をさせない!させるわけにはいかない!」と
息子を押さえつけ叫んだ日から、息子の暴力が下火になりました。
暴力に耐えて何も言わないでいるのではなく・・・
次から次へと要求を満たしてあげることでもなく・・・
子どもが言ってきたことを目を見て話を聴いてあげる。
気持ちに共感して受け止めてあげる。
ただ、それだけでいいのだと思います。
子どもはそれだけを求めているのだと思います。
何を言っても気持ちを否定されないと感じたら、
きっと心を開いてくれるはず。
暴言・暴力は、親へのアピール。
何かを求めているからこそのこと。
親に求めてくるうちは、子どもを救ってあげられると思います。
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勉強が進まないことへの叱責に、息子が激しく抵抗するようになり、
いさかいの翌日はたいがい学校をお休みしました。
親への当てつけだったように思います。
五月雨的にお休みするようになってしまったことが、
完全不登校へのハードルを下げてしまいました。
中学受験がもたらしたものは不登校だけじゃありません。
息子の抵抗がいつしか暴言・暴力となってあらわれるようになりました。
今回は、そのことを書いてみたいと思います。
暴言・暴力のきっかけなどは、以前に書きました。
過去記事(暴力のきっかけ)→3回の家出
過去記事(暴力の様子) →暴言・暴力
暴力が始まると、次も暴力。
一度、身体が覚えてしまうと後戻りできなくなるのですね。
それまでは親の押さえつけへの反発だったのが、そのうち、
些細なひと事でも、暴力が出るようになりました。
もう、言われた内容ではないのです。
声かけ全てが、親のさせよう感に結びついてしまっているようでした。
それまで親に管理され、押さえつけられていたことへの反発が一気に噴出し、
息子自身も感情のコントロールがきかなくなってしまったようでした。
親の制止、説得は息子をさらに逆上させるだけでしたので、
暴力がでても、息子にされるがままでした。
ただ、時間がたち自然と収まるのを待つことしかできませんでした。
息子の暴力をきっかけに、親は腫れものに触るようにしか息子と
接することができなくなりました。
完全に親と子の立場が逆転していました。
息子は暴力を行使することで、自分の地位を確保しました。
そうすることでしか自分を守れなかったのだと思います。
子どもは好きで暴力をふるうはずがありません。
暴力は親がさせている。
私はそう思っています。
理想を押し付けてくる親。
自分の気持ちを受け止めようとしない親。
指示、命令、提案、説教、正論・・・もううんざりなのです。
うちの息子は完全に自暴自棄になっていました。
包丁を持ち出し「死ぬ」「殺す」の世界です。
物の要求もありました。
「○○が欲しい」「○○を買って」「今すぐ、買ってきて」
その物全てが本当に欲しかったのではないと思います。
高価な物などは、親が買えないのをわかっていて、わざと言ってきたりします。
ただ、ただ、親を困らせたかったのだと思います。
本で読んだ話ですが・・・
次から次へと高価な物を要求してきたお子さん。
親に高額な出費をさせた時に、子どもは部屋にこもって泣いていたそうです。
「俺はこんなに我がままで悪い子だけど、それでも愛してくれるのか」
自分はどんどん悪い子になっていって、親が求める姿とかけ離れていく。
そういう意識がありながらも、自分の思いとは裏腹に悪態をついてしまう。
それでも自分を受け止めてほしい。
それが子どもの気持ちなんだと思います。
息子の暴力が出たとき、私も主人も息子の前で何回も泣きました。
それでも、容赦なく暴力は続きました。
私たちの涙をみたらさらに暴力が激しくなるようにもみえました。
子どもは親がオロオロ、メソメソする姿など見たくないはずです。
そんな姿は子どもにとってショックです。
自分が親をそうさせてしまったと自分を責める気持ちと、
どうしてそうなってしまうんだという腹立たしさ・・・
息子を混乱させ、余計に荒れさせてしまったのかもしれません。
親は親なのです。
親らしい姿を子どもにみせる必要があるのだと思います。
ある日、息子の暴力がでた時、
「もう、暴力をさせない!させるわけにはいかない!」と
息子を押さえつけ叫んだ日から、息子の暴力が下火になりました。
暴力に耐えて何も言わないでいるのではなく・・・
次から次へと要求を満たしてあげることでもなく・・・
子どもが言ってきたことを目を見て話を聴いてあげる。
気持ちに共感して受け止めてあげる。
ただ、それだけでいいのだと思います。
子どもはそれだけを求めているのだと思います。
何を言っても気持ちを否定されないと感じたら、
きっと心を開いてくれるはず。
暴言・暴力は、親へのアピール。
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