2009.11.27(Fri)
今日は私の母のことを書きます。
母は認知症です。
認知症の始まりは、約20年前・・・その頃より、最近までゆっくりと進行していました。
しかし、ここにきて、急に進行が早くなり、私の中で気持ちが追いつくのが大変に
なってきました。正直なところ、息子よりも母に心を捉われているかもしれません。
すぐ出て行きたがる。出て行ったら帰れないことがある。どこにいても落ち着かない。
すぐ怒る。興奮する。着替えがうまく出来ない。食べてないと言う。夜中に起きる。
症状的にはこんな感じです。まあ、認知症は別の問題なので、このぐらいにして・・・
もともとは母の認知症を理解し、私が外出する時にみていてくれたり
いなくなったら一緒に探してくれたり、優しい部分もみせてくれていた息子です。
しかし、不登校になってしまったことにより、一変してしました。
まず、家族療法において、息子の我儘な要求を受け入れるわけにはいきません。
家の中を退屈にしなければならないので、遊びにもつきあえません。
そのことに、息子は反発し、その腹いせに、母への嫌がらせが始まります。
母への暴言、暴力・・・そして母が怒り、興奮し、家を飛び出す。
だいたい興奮して家を飛び出すと帰ってこれなくなる母。
私は探しに行かなければなりません。私が困るようなことをワザとしてくれました。
私が母を擁護するようなことを言おうものなら、今度は私に向かってきます。
ときには暴力も・・・なかなか気持ちが安定しませんでした。
母の言動そのものも、息子を苛立たせました。
確かに大人でも精神的に余裕がないと、母をうまく受け流すことができなくなります。
気にしないようにするしかない・・・でも、精神的に不安定な息子には酷な要求でした。
不登校時代は被害妄想がひどかった息子です。
その敏感なときに、母の言葉や存在が息子の感情を逆なでしてしまったようです。
でも、母を変えることはできません。
二人を同じ空間にいさせることが本当に苦痛でした。
しかし、いつの日か、息子は母に過剰反応しなくなり、復学する頃には
問題はほとんどなくなっていました。
不登校による心の問題が大きかったのだと思います。
今も、息子は、母に話かけられると、
「うざっ!去れ!」「お前なんかに言われたくねぇよ」とか言う時もあります。
普通であれば、「なんて口のきき方をするの!」と言いたくなるところでしょうが、
私はほとんど聞き流しています。
以前と違って、一応、息子も母に聞こえないように小声で言っていますしね。
私も母の言動にイライラするときもありますし、それは避けられない感情だと思っています。
言葉使いは問題だと思いますが、気持ちを吐き出すことも必要なのではと思います。
たまに、「し~っ!」「もう終わり」と言う程度に留めています。
最近は、私が母に振り回されている様子をじっと伺っている息子。
「安定剤を増やさないと、お母さんが大変だ」
「なんだか悲惨・・・お母さんがかわいそうだと思った」
などと言ってくれるようにもなりました。
母のようにどうにもならない存在がいてこそ、成長できることもあります。
母は今後、どのようになっていくのでしょうか・・・
でも、母がどんな状態になろうとも、家族の一員であることに違いはありません。
家族の一員として、病気を理解し、介護が必要な母をいたわる気持ちを少しでも
もってくれたら嬉しいです。
与えられた試練から逃げることはできません。
どうせなら、そこから何かを得たほうがいいですよね。
息子は私の背中を見ています。
母に対して最善をつくすこと。
それは息子へのメッセージだとも思っています。
✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾✾
私は別ブログで母の介護日記をつけています。
公開目的よりも、記録目的で書いているのですが・・・
もし、ご興味がありましたら覗いてみてくださいね。→おばあちゃん、どこ行くの?
母は認知症です。
認知症の始まりは、約20年前・・・その頃より、最近までゆっくりと進行していました。
しかし、ここにきて、急に進行が早くなり、私の中で気持ちが追いつくのが大変に
なってきました。正直なところ、息子よりも母に心を捉われているかもしれません。
すぐ出て行きたがる。出て行ったら帰れないことがある。どこにいても落ち着かない。
すぐ怒る。興奮する。着替えがうまく出来ない。食べてないと言う。夜中に起きる。
症状的にはこんな感じです。まあ、認知症は別の問題なので、このぐらいにして・・・
もともとは母の認知症を理解し、私が外出する時にみていてくれたり
いなくなったら一緒に探してくれたり、優しい部分もみせてくれていた息子です。
しかし、不登校になってしまったことにより、一変してしました。
まず、家族療法において、息子の我儘な要求を受け入れるわけにはいきません。
家の中を退屈にしなければならないので、遊びにもつきあえません。
そのことに、息子は反発し、その腹いせに、母への嫌がらせが始まります。
母への暴言、暴力・・・そして母が怒り、興奮し、家を飛び出す。
だいたい興奮して家を飛び出すと帰ってこれなくなる母。
私は探しに行かなければなりません。私が困るようなことをワザとしてくれました。
私が母を擁護するようなことを言おうものなら、今度は私に向かってきます。
ときには暴力も・・・なかなか気持ちが安定しませんでした。
母の言動そのものも、息子を苛立たせました。
確かに大人でも精神的に余裕がないと、母をうまく受け流すことができなくなります。
気にしないようにするしかない・・・でも、精神的に不安定な息子には酷な要求でした。
不登校時代は被害妄想がひどかった息子です。
その敏感なときに、母の言葉や存在が息子の感情を逆なでしてしまったようです。
でも、母を変えることはできません。
二人を同じ空間にいさせることが本当に苦痛でした。
しかし、いつの日か、息子は母に過剰反応しなくなり、復学する頃には
問題はほとんどなくなっていました。
不登校による心の問題が大きかったのだと思います。
今も、息子は、母に話かけられると、
「うざっ!去れ!」「お前なんかに言われたくねぇよ」とか言う時もあります。
普通であれば、「なんて口のきき方をするの!」と言いたくなるところでしょうが、
私はほとんど聞き流しています。
以前と違って、一応、息子も母に聞こえないように小声で言っていますしね。
私も母の言動にイライラするときもありますし、それは避けられない感情だと思っています。
言葉使いは問題だと思いますが、気持ちを吐き出すことも必要なのではと思います。
たまに、「し~っ!」「もう終わり」と言う程度に留めています。
最近は、私が母に振り回されている様子をじっと伺っている息子。
「安定剤を増やさないと、お母さんが大変だ」
「なんだか悲惨・・・お母さんがかわいそうだと思った」
などと言ってくれるようにもなりました。
母のようにどうにもならない存在がいてこそ、成長できることもあります。
母は今後、どのようになっていくのでしょうか・・・
でも、母がどんな状態になろうとも、家族の一員であることに違いはありません。
家族の一員として、病気を理解し、介護が必要な母をいたわる気持ちを少しでも
もってくれたら嬉しいです。
与えられた試練から逃げることはできません。
どうせなら、そこから何かを得たほうがいいですよね。
息子は私の背中を見ています。
母に対して最善をつくすこと。
それは息子へのメッセージだとも思っています。
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私は別ブログで母の介護日記をつけています。
公開目的よりも、記録目的で書いているのですが・・・
もし、ご興味がありましたら覗いてみてくださいね。→おばあちゃん、どこ行くの?
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