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息子が休み始めた頃・・・

ちょうど2年前の今日から、息子は完全不登校になりました。

1学期は五月雨状態でした。
9月に入り、行ったり、行かなかったり・・・

そして「もう学校へは行かない」と宣言しました。

すでに暴力が出ていて、かなり荒れていた息子。
もう行くのは無理だろうなと思いました。
少し心の傷を癒してあげなければ・・・

「お休みしていいよ」と私は言ってしまいました



学校をポロポロとお休みしだしたのは、小学校2年生の後半でした。
ちょうど習いごとを始めた頃です。
多分、疲れが出ていたと思います。

最初にお休みする時は、勇気がいるものです。
しかし、1日お休みし、また次にお休みし・・・
回を重ねてしまうと、お休みすることに抵抗がなくなっていきます。

疲れたらお休みすればいい・・・

そう簡単に思うようになってしまったような気がします。


息子は疲れるとすぐ頭痛を訴えます。
お休みする時はきまって頭痛でした。
朝は本当に痛そうでしたが、薬を飲めば10時くらいにはだいたいよくなっていました。

治ったのなら遅刻して学校へ行こうと言うようになると、
薬を飲んで2~3時間たっても治らないと言うようになります。
午後の1時、2時になったらやっと治ったと。

ただ遅刻していくのが嫌だから治っていない振りをしているのだろうなと思っていました。
もしかしたら、薬の飲み過ぎで薬が効きにくくなってきているのかも?とも。


息子がお休みした時。

疲れているのだろうからと、特別にお菓子を買ってきてあげたり
テレビをみせてあげたり、マンガを読ませたり・・・そうしてあげていました。

頭痛が治ったら自分の好きなことができます。

もしかして、学校でちょっと嫌なことがあり、なんとなく休んでしまった時に
家にいて居心地のよさを感じたのなら、また嫌なことがあった時に
休んで家にいたほうがいいや・・・きっとそう思ってしまうでしょうね。

家が避難場所になってしまったような気がします。


息子はお休みしても平気な子になっていました。
何か嫌なことがあったらお休みすればいいやと思う子にもなっていました。


不登校になりやすい環境を作ってしまったと思います。



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テーマ : 不登校
ジャンル : 学校・教育

暴言、暴力

3回目の家出で暴力が始まり、
その後、不登校になってからもしばらく続きました。

3回目の家出のあと、私達夫婦は話し合いました。

息子はあきらかに壊れかけている。
まずは、人間らしさを取り戻そう。
親子で楽しみを見つけよう。
今は皆、疲れている。もう疲れるのは止めよう。
息子の事はしばらく何も言わずに見守ろう。
本当に勉強しなければと思ったら勉強を始めるだろう。
そうならなければ仕方ない。
こちらから無理だということは言わないでおこう。

でも、すでに遅かったのかもしれません。

些細なことで激高し、暴力に走る。口汚く罵る。
一度、火が付いてしまうとセーブがきかなくなりました。
逆に、気持ちが萎えると、自暴自棄になり 「自殺する」 と言う。

それ以外は、まったく普通のむじゃきな息子でした。
スイッチが入ると、何者かが憑依したのではと思うほど、その落差は激しかったです。


ある日のことです。

主人が「学校へ行けないなら、転校手続きをとってあげる」と言ったことがあります。

息子はただ一言 「家出する」 と。
それを止めたら、修羅場になってしまいました。

「殺す」
「お父さんと決闘して、負けた方が死ぬ。包丁もってこい」
殴る、蹴るで、大暴れし、手が付けられませんでした。

「お茶を持ってこい」
持っていくと、飲んだ残りを布団に撒き散らしました。

「もう一杯持ってこい」 
うなだれている主人の頭に、タラタラとかけました。

「ポテトチップス持ってこい」 
じっくりと味わい、残りのポテトチップスを袋の中で砕き、
お茶をかけられたままじっと身動きしなかった主人の頭にパラパラとかけました。

そんな状態が、2時間ぐらい続きました。。


また、こんな日も。

「もう、寝よう」 何時までも寝ない息子にそう言いました。
たった、それだけです。

カメラの三脚を持ち出して、私に叩きつけてきました。
次は室内用の物干しを、私に向けて突きつけてきました。
それについていた、洗濯ばさみをすべて引きちぎり部屋に散乱させました。


暴力は、夜が多かったです。
始まると、1時間から2時間は、収まりませんでした。
暴力が収まっても、私は、しばらく寝つくことができず、
当時は、毎日3時間ぐらいしか寝ることができませんでした。

こんな息子の姿をみているのは辛いことでした。
でも、どうしたらいいのかわかりませんでした。
自然と涙が溢れます。
しかし、私や主人が涙をみせても
「今まで、俺がどんな気持ちだったか、これでわかったか!!」
暴力は容赦なく続きました。
かえって復讐心に火をつけてしまうようでした。

私達夫婦はもう腫れ物に触るようにしか、息子と接しられませんでした。



暴れるたび、息子がいつも口にしていた言葉があります。

「お父さん、お母さんは、やっぱり何も変わっていない」

私達は、もう息子に対して、否定も非難も何もしていませんでした。
それなのに、何故、そう言われるのかわかりませんでした。


でも、今ならこう思います。。。

ただ、ありのままの自分を受け入れてほしかったのだと思います。

指示、命令、否定、非難。しないように気をつけていました。
優しい言葉をかけるようにしていました。そうするよう努力していました。

でも、心では、このままでは困る。どうにかしなければ・・・そう思っていました。
言葉の裏にある心を息子は見抜いていたのだと思います。

本当の心は以前と変わっていない。
俺はどうせダメな子だ。親は困っている。認められていない。

そう感じ、悲しみ、もがいていたのだろうと思います。



ある日のこと。

私は毅然とした態度をとろうと決心しました。
このままずっと息子に暴力を振るわせるわけにはいきません。
私たちが何も言わないでいても、暴力がなくなるわけではありません。

私は暴力を振るっていた息子を押さえつけ、覆いかぶさりました。

「お母さんは、○○に暴力を振るってほしくない!もう、暴力を振るわせない!」

泣きながらそう叫びました。


その日から、暴力はほとんど無くなりました。


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3回の家出

最初の家出で、塾はやめました。

でも、息子は勉強から逃れたかったわけではありません。
私達の叱責から逃れたかっただけでした。
受験したい気持ちに変わりはありませんでした。

その後、主人とマンツーマンで勉強したり、近くののんびりした塾へ行ったり、
そこが閉鎖されると、また違う大手塾に行ったりしました。
しかし、最後の塾も量が多く、息子が体調不良を訴えるようになり退塾。

5年生の5月には塾をやめ、自宅学習に切り替えていました。

勉強のスケジュールは主人が息子と相談して立てていましたが、実行できないと
量を調整して組み替えます。

しかし、いくらハードルを下げても、飛べなくなっていました。


こんなに下げてもできない。。。


どこまで下げればいいのだろう。本当はここまでやる必要があるのに・・・
家で勉強することになったので、勉強が進まない息子の姿が否が応でも目に入ってきます。

それを見ているとイライラしてきます。押えきれない叱責。
あとで自責の念にかられても、また同じ場面で繰り返す言葉。

ここで、詳しくは書きませんが、その頃、私は、認知症の母の急変に対処できず
精神的に余裕がありませんでした。
そのために、息子への苛立ちがあると、必要以上に感じてしまっていました。

私は精神的に最悪の状態でした。

しかし、息子が一番苦しんでいただろうに。。。

その時はそう思ってあげることができませんでした。

高いハードルを飛べないならわかります。
どんどん下げられるハードルを飛べない自分。
飛べなければ認められない自分。

息子はどんどん自信を失っていったに違いありません。


5年生の7月、息子はひとりで主人の母がいる北海道へ遊びに行きました。

1週間過ごしてきて帰ってきましたが、北海道では勉強から開放してあげていたので、
勉強が手に付かなくなってしまいました。

その頃、否定的な言い方にはかなり敏感に反応していた息子でしたので、
主人も私も、言葉を選んで接するようしていました。

しかし、ある日、私は爆発してしまいました。
「出て行って!」と、叩きつけてしまいました。

「出て行く」
そういって息子は玄関に向かいました。クールな反応でした。

実はその前にも2回目の家出をしていました。
きっと、戻るつもりはない・・・瞬時にそう感じました。

私は息子の腕をつかみ、引き止めました。

「離せ!」「出て行く!」
息子は激しく抵抗しました。

私から逃れるために、私に蹴りをいれ、髪の毛をひっぱり、
顔をげんこつで叩いたり、平手で打ったり・・・・あらゆる手段で攻撃してきました。


これが暴力の始まりです。

「俺が今までどんな気持ちだったか、これでわかったか」
「お前なんて顔もみたくない。消えろ。死ね。自殺しろ」
「俺の奴隷になれ!」

それまでは、泣きじゃくって反抗していた息子でしたが、
その時の凍りつくような視線・・・息子の目は子どもの目をしていませんでした。


壊れてしまった。。。

何をされても、私は息子を掴んで離しませんでした。
2時間ぐらい、されるがままでした。
私はもう力の限界に達しました。

友達と約束しているというので、ちゃんと帰ってくるという約束で家を出しました。
私は心配で、帰宅時間に、その友達の玄関が見える場所に隠れていました。
息子は友達の家を出て、我が家の方向へ向かっていましたが、私の姿を発見するや否や
逆方向へ逃げていってしまいました。

1時間後、近くのレンタルビデオ屋さんで息子を発見しました。
もう逃げたりはしませんでした。

欲しいと言った、攻略本を買ってあげました。


その日を境に私達夫婦は息子に何も言えなくなってしまいました。


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小学校3年~中学受験の道へ

3年生の夏から中学受験のための勉強を始めました。

まず塾の夏期講習を体験。息子が続けたいというので、そのまま入塾しました。

塾の勉強は面白かったようです。
塾の環境の中で自然と息子も受験モードになってきました。

4年生になって積極的に学校訪問するようになると、もうすっかり私立派。

こんな学校に行きたい!と。

親が子どもを受験させる気にさせるのは結構簡単なんです。
中学受験って洗脳の世界です。

洗脳されるのは子どもだけではありません。

ちなみに私が住んでいるのは、関東地区です。
都心から少し離れていて、まだのどかであり、中学受験生も今クラスに2人だけです。

そういう環境ですので、公立に行くものだと思っていた私達夫婦でした。
しかし、ある塾の講師から、今の受験事情などの話を聞く機会があり、その日から
一気に受験モードに入ってしまいました。

最初に入った塾ですが、どちらかといえば、のんびりムード。

半年後、さらに上を目指して、転塾しました。
関東地区一番の実績を誇っていた塾です。

入塾してすぐ・・・「楽しすぎて困っちゃうよ~」

出だしはよかったです。

教材の量は半端じゃありません。
塾としてはトップレベルの子が満足できる質と量を用意する必要がありました。
すべての子にそれをこなすことは求められていません。

が、しかし、全部こなしていったのです。

トップに追いつくなら、やらなければならないと。

親の思いが影響したのか、塾での刺激なのか、息子も一番上のクラスを目指すと。
志しだけは高くもっていました。


受験勉強を子どもが自ら進んでやっていたのなら問題はありませんでした。


息子は、もともとじっとしていられない子です。
とにかく、すぐ気が散る。集中できない。
教材をすべてこなすには膨大な時間が必要でした。

主人がスケジュールを管理し、私は、時間の管理をしていました。
馬の尻を叩くように、どんどん走らせました。


つまり、やらせていました。


成績は徐々に上っていきました。
目標に手が届きそうになると、さらに加速します。もう少し、もう一歩。

子どもに疲れが出ているのはわかっていました。
でも、塾通いの子は皆そう。結果が出れば、苦労はふっとぶ。
そう信じて走るよりしかたがない。

今、その時のことを振り返ると、胸が痛みます。。。


どんなに勉強が進まなくても、受験する気持ちだけは持っていました。
しかし、気持ちがあっても、思うようにはできません。

休日、出かける予定があると、「これやったら行こう」と声をかける。
1時間ぐらいで終わる予定が2時間たっても、3時間たっても・・・
結局、出かけられないで終わったことが何回もありました。

目の前にぶら提げられたにんじんに、ありつけない日々が続きました。

やってもやっても、終わりのない勉強。
確実に許容範囲を超えていました。


そして、ある日、息子は、家出したのです。


車で40分もするところまで、ひたすら歩いていました。
朝、家を出て、夕方、保護してくれた方から連絡が入りました。
さらに先へ歩こうとしていたようです。
その日は帰るつもりはなかったと言いました。


「宿題をするのが嫌になった」


次の日に、塾をやめました。


小学校4年生の6月でした。

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幼少~低学年の頃

とにかくよく動く子でした。

いつも追いかけまわしていた記憶しかないぐらいです。
2歳ぐらいから、親の姿なんて見えなくても平気。よく出先で消えましたから。

多動症なのでは?と心配したこともあります。
幼稚園の中ではおとなしくしていたようですので、真剣に悩んだわけではないですが。

園のお友達とは月から金まで毎日遊んでいました。

遊ぶ仲間が常に5人ぐらいはいて、お母さん仲間で幼稚園のお迎えを交代制にしました。
お迎えに行ったお母さんが子ども達を一手に引き受けてみんなを遊ばせる。
遊びが終わる頃、他のお母さんが集まり、そこでお茶を・・・なんていう毎日。

卒園が近づくにつれ、だんだん仲間が増えていき、お母さんのお迎えの時間には、それぞれの
兄弟も連れてくるので、我が家に12人の子ども達がひしめき合って遊んでいたこともあります。

私は、泥んこ、水浸しなんてことになっても、へっちゃら。結構、平気でさせていました。
喧嘩しても、手が出て収拾がつかなくなるまで、見守っていました。
それは、他のお母さん達も一緒。
気心が知れているお母さんたちですので、喧嘩などの様子は包み隠さず報告してくれる。
皆、自分の子じゃないからという遠慮もなく、子供達を分け隔てなく叱ってくれました。

喧嘩して真っ先に手が出るのは、うちの息子でしたけど・・・
口で負けるので、どうして手が出てしまうのです。
自分の感情を言葉にできないのはその時からでした。

まあ、ともかく、毎日、喧嘩して、仲直りして・・・いい環境でした。

今、息子が友達といるのが楽しいと思えること。仲良くできること。
その時に培ったのだと思います。

継続登校において、友達関係では問題がないのも、その時代のお陰かと思います。


一度、行き渋りがありました。

病気でお休みし、1週間ぶりぐらいにやっと登園できたのですが、また、吐き気がするとか、微熱があるとかで、行ったと思ったらまたお休みするという状態が、そのあと1週間ぐらい続きました。

主任の先生に「流されないで。精神的なもので微熱も出るのよ」と。

どうやら、連続して休んだ後の登園日に、園でやっていること、お友達との遊びの変化を
微妙に感じとったようなのです。自分の居場所を少し見失ったのかもしれません。

息子の繊細な部分に気がつきました。

担任の先生が訪問してくださり、「明日きてね」と指切りげんまん。
その後は、卒園まで問題なく登園できました。



小学校1年生は一番安定していたかもしれません。

不思議だったのは、幼稚園時代にあれほど、男の子たちと元気に遊んでいたのに、
小学校に上った途端、女の子とばかり遊んでいました。

その頃、サッカーに夢中だった男の子たちがまわりにいましたが、
幼稚園からやっている子たちと一緒にやるのが嫌だって言っていました。

「俺は下手だから恥ずかしい」

プライドが高いのだな~

サッカーでなくても、外で遊ぶより家で何かを作っている方がすき。
今でもレゴが大好きでやっていますからね。
プラモデルも好きで幼稚園時代に、5時間休みなく作り続けたことがあります。

女の子とままごと遊びをするほうが性にあっていたようです。



小学校2年生からお休みが多くなりました。

きっと、疲れの部分が大きかったと思います。

小学校1年まで、息子は習い事はいっさいやっていませんでした。
しかし、2年生から、本人の希望でピアノ、科学の実験教室へ通い始めます。
それに友達と一緒にスイミングもやることになり、急に忙しくなりました。

先生のアンケートに息子は 「ならいごとをやめたい」 と書きました。

そこで呼び出しです。
確かに習い事をするようになってから、頭痛でお休みすることが多くなっていました。

「低学年は習い事はひとつぐらいでどうでしょうか。まだ学校生活をおくることだけで精一杯で、それ以上の負荷はあまり与えないほうがいいです」と言われました。

後でわかったことには、スイミングの進級テストがあり、友達は合格したのに自分は落ちてしまい、気落ちしてアンケートに書いたということでした。
「な~んだ」ということで、習い事はやめませんでしたが、疲れで休みがちだったことは事実です。

先生のお言葉が、今になって心に響きます。


2年生で病気を含め15日間お休みしています。


学校を休むことに抵抗がなくなってきたこと。
その時に家で楽しくさせてしまったこと。


不登校の土台が出来上がってしまいました。


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プロフィール

ティカ

Author:ティカ
小学5年生の時、不登校だった息子を学校に戻していただきました。復学しただけで不登校が解決するわけではありません。継続登校中の息子を支えるために親としての勉強を続けています。

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